Corporate Social Responsivility− 太洋堂にできること −


乳癌京都 乳癌 ピアサポートサロン スタートに向けて

 2013年4月より、責任者:吉田 羊子さん主催の「京都 乳癌 ピアサポートサロン」さんに、太洋堂の会議室・和室・研修室をお貸しすることにいたしました。本活動は、太洋堂 初の取り組みであり、ボランティア(無償貸出)としての活動です。

乳癌と私

 忘れもしない2012年7月15日。間もなく1歳になろうとする息子が、突然、母乳を飲まなくなった。「この子はよく飲むねぇ」と誰からも言われる程、母乳・ミルク共に毎日ごくごくと元気に飲んでくれた我が子。そんな元気な子が怖い顔をして、両手で私の左乳房をペチペチと叩く。「マズイ、マズイ」とでも言っているかのように、強く何度も叩く。具合でも悪いのかしら?と反対の母乳を与えてみると、ゴクゴクといつものようにしっかり飲む。あれ?と不思議に思い、もう一度、左乳房を出す。ペチペチペチ。イヤイヤと顔を左右にふる。「卒乳かな?」と楽天的に考えてネットで検索を始める。

 ふと目に留まった記事「赤ちゃんが教えてくれた乳癌」。まさかな、と思いながらも心臓がドキドキする。急いで出産でお世話になった病院へ電話をかける。「助産師マッサージに来ますか?」と、優しく声をかけてくれた助産師さん。休日にも関わらず笑顔で迎えてくださったこの助産師さんに今もすごく感謝している。マッサージを終え、「ほぐれないしこりがあるから、念のため乳腺の専門科にかかってくださいね。」とアドバイスをいただいた。

 京都は祇園祭り真っ盛り、活気ある楽しい季節。7月17日、息子に鉾を見せてやりたいと、知人の会社へ出向いた。祇園祭の鉾巡行を息子と眺めながらも、心は落ち着かない。「まさか、乳癌じゃないよね・・・」。午後にようやく健診予約が取れ、いざ乳癌健診へ。

 「気になるシコリがありますので、念のため詳しい検査をしましょう」と、美人の女医さんに説明を受け、1週間、検査結果を待った。

 7月24日に受けた宣告・・・「乳癌です」。

 自分の中で、気分はまだまだマタニティの延長線上にいた。新米ママとして、子育てのイロハを覚えること、楽しいこれからの人生、仕事との両立。夢や目標が胸の中にいっぱいあふれていたはずなのに、乳癌の告知を受けた瞬間、すべては真っ暗な闇の中へと消えて行った。見える景色すべてが、灰色に見える。呼吸をすることすら、苦しい。

 乳癌=死。告知を受けた自分の頭には、真っ先にその文字が浮かぶ。「死」。

 自宅に帰ると、来月1歳を迎える息子の為に買った絵本が届いていた。誕生日プレゼントの絵本。「来年、2歳の誕生日に向けたメッセージ」という欄が、最後のページに付いていた。「私に来年はあるのかな? 2歳の息子にあえるのかな?

 この子が大人になった顔を見ることができるのかな? 一緒に見たかった映画、一緒に行きたかった場所、一緒に見たかった景色、ぜんぶ実現できないのかな?」そんな風に考えると、涙が止まらなくなった。廊下の向こうで息子の笑い声が聞こえる。だから、声を殺して泣く。気づかれないように、気づかれないように。でも、苦しくて苦しくて、景色がもっともっと灰色になっていった。涙で見えなくなる目をこすりながら、二歳になる息子へのメッセージを丁寧に消えないように、マジックで書いた。

乳癌になって、自分自身が悩んだこと、考えたこと

 ドクターに感謝。看護師さんに感謝。家族に感謝。友人・同僚に感謝。すべての人に感謝。そして、いっぱい笑顔で応援してくれた、寂しいと泣かなかった息子に感謝。

 本当に多くの人々に強く支えていただき、私は乳癌の手術を無事に終えた。今も未だ治療は続いているけれど、少しずつ生活は明るく楽しく前向きになってきている。

 いつかまた機会があれば、今日に至るまでの取り組み、そのとき感じたことをホームページで紹介できればと思う。私自身、多くの乳癌患者の方々のブログに勇気とヒントをいただいた。乳癌の治療は、千差万別。全く同じなんて、無いように思う。でも、少しでも自分に近い情報を得ることで、判断材料になる。ヒントになる。前向きになれるきっかけになることがある。

 乳癌になって自分自身が悩んだことには、大きく3つの課題があった。

 一つ 自分の治療について。具体的にどのような治療を受けるのか。
 二つ おっぱいが無くなる。女性として、心の在り方、不安について。
 三つ 家族のこと。心が不安定で周囲とうまく接することができない。

 一つ目の課題は、ドクターに相談する、看護師さんに相談するのが筋。それしか無いと思った。いろいろ知識のある知人・友人が意見をくれるけれど、自分が信じた主治医のご意見、看護師さんのご意見など、専門家のアドバイスを自分なりに納得しながら進めることが一番と考えた。家族や知人・友人のアドバイスは、参考にはしたものの、それに振り回されることは決してしないでおこうと心に誓い、ドクターの治療に身体を預けることにした。今より、必ず良くなる。それだけを信じて。

 しかし、困ったことは二つ目と三つ目の課題。誰にも相談できなかった。誰にもわかってもらえると思わなかった。時に勇気を出して、家族や親せきに相談しようと試みたが、苦しくなるばかり。

 自分の心の中に、「おっぱいがある人への嫉妬の念」「子育てを楽しんでいる人への嫉妬の念」が生まれていることに気付いた。なんて暗い私、嫌な私。でも、そのことは誰にも言えなかった。「二人目を考えているの」と何気なく友人との話題に上がるだけでも、「私にはこの子の成長さえ見届けられないのに」という悲しみがこみ上げる。時には、怒りさえこみあげる。でも、そんなことは、当時は口にできなかった。

 良かれと思い、御見舞いに来てくださった方の言葉にも傷ついたこともあった。ベットの中で声を殺してわんわん泣いたこともあった。どんなに仲良しでも、家族でも、親せきでも、同じ病や境遇を味わわない限り、この苦しみはわかちあえない。そんな風に思い、心が濁る自分を嫌いながらも、クリアな気持ちを取り戻すことがなかなかできなかった時間があった。これは、今だから言える、素直な自分の悩み。

乳友ちゃんとの出会い / 吉田 羊子さんとの出会い

 しかし入院中、誰にも言えない悩みを少し軽くすることができた瞬間があった。癌友ちゃんとの出会いだ。入院中、心を通わせる「友」との出合いがあった。今までの友人関係とは違う、世代や生活環境を超えた、同じ境遇に生きる、近しい悩みを持つ「友」の存在。

 術後のドレーンからは、血液が未だ流れる。それをかわいいポシェットに入れて、上着を羽織って散歩へ出かける。ウィッグを付ける人もいる。胸にパットを入れる人もいる。外の風が気持ちよくて、術後であること、おっぱいがなくなったことを忘れる。でも、癌であることには自然と向き合っている自分がいる。今まで言えなかった不安を、ぽつりぽつりと何気なく語り合う。通じ合うものがある。お互いへの「気遣い」。これは、入院前には誰とも通い合うことができなかった部分。癌友同士、乳癌サバイバー同士だからこそ生まれる「気遣い」「間合い」「疲れない空間」。

 癌友ちゃんとの付き合いは、退院後の今も続いている。

 時には電話で、メール、手書きの手紙で。時にはCAFEでお茶をして、いろいろな話しに花を咲かせる。隠すことなく話せる気楽さ、その反面で「聞いてはいけないこと」「押し付けてはいけないこと」など、癌友だからわかりあえる距離がある。お互いを労わりあう、お互いを大切に思う、その中でも自分の不安を少しずつほぐすことができる、癌友ちゃんとの関係はそんな風に素敵だ。

 幸いにも私が仲良くさせていただいている癌友の皆さんは、飾らない人が多い。強く、美しい人が多い。前向きで目標があり、お洒落で、目が輝いている人が多い。そんな存在にいつも勇気をいただく。自分の濁った心や暗い心を隠さず表現してくれる友もいる。それを聞くと、「ああ、私ひとりじゃなかったんだ」と救われた気持ちになる。人は弱いもの。自分だけ、自分ひとりだけ、と考えることはすごく心が弱るものだと思う。自分の苦しい過去を飾らず話してくれる友もいる。二人でお互いに苦しかったことを話して、CAFEで一緒に号泣した後、大笑いした。こんな友人関係は、学生時代以来だ。

 そんな素晴らしい出会いの中のひとつに、吉田羊子さんとの出会いがあった。

 ピアサポートという活動に、自分の情熱を注いでおられる乳癌サバイバー。薬の副作用に悩んだとき、暗い気持ちになったとき、いつも熱心に励ましてくれた存在のひとり。この大切な友のために、私にできることは何か?

 家業 太洋堂のお部屋を無償でお貸しすること、そんなことしか思いつかなかったけれど、私と同じ乳癌患者の方のお役に、少しでも立てるならと思い立ったことが、この春、ピアサポートサロンというカタチにつながった。

ピアサポートのこれから

 正直なところ、ピアサポートの活動は、まだまだ難しいものがあると思います。しかし、「価値がない活動か?」と問われれば、「価値がある活動だ」と私は考えています。

 実際、私自身も、心の闇から救われたのは、癌友との出会いであったし、同じ境遇にあるからこそ話し合えることは数えきれないほど存在していると思います。すべての乳癌患者は、再発・転移や、今の病状からの悪化に対して、いつも不安におびえている自分がいると私は思っています。少なからず、私自身はそのひとり。

 先にも書いたように、治療そのものは、医師の指導に従うことがベストと私は考えていますが、最終的に「自分自身」で責任を持って決断しなければならないことが、治療の過程で山のように出てきます。決めるのは自分だけれど、ひとつでも多くの判断材料が欲しい。そう思ったとき、ひとつの参考情報としてピアサポートの情報を得ることはプラスにつながると考えています。

 乳癌は患者さんによって、治療方法は千差万別でしょうから、同じ病を持つ人の話しを聞いても、参考にならないケースも存在することがあるでしょう。ただ、そうした治療に関することではなく、私が心に抱えたような、患者としての悩み、患者としての心の不安のようなものを、少し和らげるきっかけづくりがピアサポート活動の中にはあるように思います。前向きになれると、治療そのものが少し楽になると思うのです。そんな前向きになれる花を咲かせるための種のひとつがピアサポートであるように思います。

 最後になりましたが、私は最愛の小母を卵巣癌で2010年の冬に亡くしました。私を小さいときから可愛がってくれた、お姉さんのような存在でした。4年半に及ぶ壮絶な治療の日々、小母自身も大変よく頑張りましたが、私自身も小母に対して一生懸命に尽くしたと思っていました。一番の理解者であったと信じていました。しかし、自分が癌を患った今、私は小母の苦しみを半分も理解していなかったと感じるようになりました。健康だと思っていた自分は、小母の心の苦しみをどれほど理解して、心が前向きになるアドバイスをどれだけしてあげることができただろうか、反省が残ります。もし、同じ癌を患った今のわたしであれば、あんな言葉は小母に投げかけなかったなと思うことが数えきれないほどあります。

 このことからも、同じ境遇にある人と時間を共有できることは、とても価値のあることだと実感しています。良い面ばかりではないと思いますが、癌友との出会いの場として、ピアサポートが存在することは、癌患者の一人として、大変ありがたいことだと感じています。


株式会社 太洋堂
代表取締役社長 瀧 麻由香
Mayuka Taki



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